社会悪の発生源 「コンビニ」 -5ページ目

第13章. 巨人、大鵬、玉子焼き

子供の好きなものとして「巨人・大鵬・玉子焼き」という流行語が誕生したほどの大横綱、「大鵬親方」が


先日、相撲協会を定年引退されました。


その記者会見のなかで、「日本人横綱不在の現況について」の質問をされると、


親方は「今の若い連中は辛抱や我慢が無い、恵まれすぎていることが原因だ」というような内容の事をおっしゃいました。


優勝32回、全勝8回、2回の6連覇、幕内勝率.838などの偉大な記録を残した親方の目には、やはり現在の若い力士たちを取り巻く環境は、とてつもなく甘ったれたものに写るのでしょう。



「巨人、大鵬、玉子焼き」。。。いかにも古き良き時代の流行語と思いませんか?

今と比べれば、とても健全で平和的、かつエネルギーに満ち溢れている時代背景を感じます。


コンビニの君臨が、道徳、モラルを崩壊させ、


我慢せずとも、辛抱せずとも、ある程度の欲求は満たされる社会をつくりあげ、


気がついたら、日本の国技である相撲も、日本人横綱がいない時代になってしまっていたのです。


第12章. JR脱線事故にみる社会背景

 

俗に言う「自己中」「わがまま」「自分勝手」とは、「便利」の裏返しなのではないでしょうか?「便利」とは、そのすべてを肯定してくれるのですから・・・。

 

大惨事となってしまったJRの脱線事故・・。事故を起こした側も、家族や知り合いが被害にあってしまった方々も、またそのどちらでもない第三者も、二度とこのような悲惨な事故を起こさない為に、今こそ、この緩みきった社会を真正面から直視し、皆で考えなければならない時なのではないでしょうか?JR職員へのバッシングが日々エスカレートしているようですが、そんなことで抜本的な改善にはならないでしょう。

 

コンビニは「24時間営業」「各種公共料金支払い」‥挙げればきりがないですが、人々の「わがまま」を様々な場面においてかなえてくれます。もちろん100%とは言いませんが、今後もまだまだ最新のツールによって更に便利になっていくことでしょう。

しかし、こうなると、これまでの章でも書いているように、人々はどんどん錯覚のスパイラルに陥ることになるのです。そうして知らず知らずのうちに、「自己中心的」「わがまま」「自分勝手」な人間を増やし、その結果、今回のような大惨事を引き起こすのです。

ですから少なくとも子供たちが道徳、モラルを育む場所をこれ以上減らすことは、我々大人が阻止しなくてはなりません。

知り合いに、「コンビニは利用するもので、自分がやるものじゃない」と言う会社経営者がいます。実に核心を突いた意見だと思いました。よく言えば「かゆい所に手がとどく」、悪く言えば「度を越した消費者優位」のサービスが、経営者側と利用者側の間に大きな溝を生んでいるのです。その中で、そ知らぬ顔で利益を生み出しているのがコンビニチェーンの本部なのです。

第11章. 新商品のからくり

 コンビニで売っているものって、全国的に人気のある、いわゆるトレンドな商品っていう

イメージがありますよね。しかし、ひとつの新商品が定番商品として売り場にポジション

を確立するまでには、メーカーとコンビニ本部との間に、その利害関係に基づくあらゆる

力が作用していて、一概に、コンビニに陳列される商品がトレンドとは言い難いのです。

 

 つまりコンビニは、いかにもお客さん本位の品揃えをしていると言う風な情報を発信していますが、一部たまたま人気が先行した商品を除いては、実際にはメーカーが売り込んできた新商品を、商品担当者がその条件によって選別、採用している場合がほとんどなのです。ですから、結局お客さん本位と言うよりは、本部が儲かるように陳列商品を決定しているのです。

 一種類の商品が一箇所に大きく広く場所を取って陳列されているのは、誰もが見たことのある光景だと思います。逆にいえばこれは、コンビニ本部の商品担当者が利害関係に基づく独断と偏見で選んだ商品を、消費者は選ぶ余地なく買わされているのと同じ事なのです。個人小売店が主流だった昔は、それぞれ扱う商品も違えば陳列方法も違っていた為、消費者はいろいろ選ぶという本来の買い物ができ、言わば自分が選んだお店で、自分が選んだ商品を手に入れていたのです。

 

 お弁当の新商品に至っては、最悪のことが平然と行われています。

「5個までは返品可能ですので、10個以上発注してください」

これは、本部から加盟店への連絡の一例です。

あなたならどう感じますか?

世界には今なお、ろくな食事も出来ず、餓死している子供たちが大勢いる国々が存在すると言うのに・・・・。

 

第10章.公衆道徳崩壊の助っ人

 

例えばあなたが自転車で最寄駅まで行き、そこから電車で通勤あるいは通学するとして、駅の付近にコンビニエンスストアがあったら、おそらく多かれ少なかれ利用することでしょう。しかし、乗ってきた自転車をコンビニの駐輪場に放置して電車に乗るかどうかとなると、人それぞれだと思います。

 ただ、実際問題、駅利用の為の駐輪場と化してしまっているコンビニは沢山あり、そんな悩みを持つコンビニオーナーの話をよく聞きます。

 

 どうでしょう?仮にそれがコンビニではなく、一般小売店(八百屋や魚屋、パン屋)なら同じ結果になったでしょうか?

 

 私は、両方の経営を経験しておりますのでハッキリと断言できます。一般小売店に駐輪して駅を利用する人は極めて少ないはずです。もちろんコンビニ以外でも、同じような問題に頭を抱える業種もあるかと思いますが、大きな駐車場を有するスーパー等の存在を考慮しても、やはりコンビニは不動のポジションなのではないでしょうか?

 

 そうです、「公衆道徳崩壊の助っ人」というポジション。。。

第9章 矛盾の発信基地

 

「愛・地球博」、モリゾーとキッコロというキャラクターたちの容姿からもお分かり頂けるように、そのテーマたるや、「地球環境を考え、自然との共存」と言った風な感じのもので、各パビリオンはそのテーマに則って表現、展示されています。

 

 ところが、ご存知だったでしょうか?

 

この博覧会場内にも、「コンビニエンスストア」が存在することを・・・。

 

コンビニを、社会悪の発生源と称している私ですから、はじめにその事実を知ったときには本当に主催者の神経、人格を疑いました。驚き、そして腹立たしくも感じました。

 

以前からこのブログにも載せているとおり、コンビニの性質を考えれば、今回の博覧会のテーマとは180度かけ離れているのは言うまでもないからです。

 

 

 

そんな矢先に、「ほら見ろ!言わんこっちゃない!」というような出来事が起きたのです。

 

開幕前の内覧会で、予想以上に弁当類が売れたその店は、開幕すればさらに売れると予想し、弁当の発注量を増やしました。ところが実際には客足は思ったほど伸びず、

 

結果として、毎日毎日売上以上の弁当を廃棄することになってしまったのです。

 

それは3日間続き、ついに店側もこれはいかんと考えたのか4日目から発注量を減らしたそうです。

 

 どう思いますか?

 

愛・地球博とは聞いて呆れませんか?

 

もちろん、販売ロスとされるものは、会場内の他の飲食店にもあるでしょうが、

 

店舗で加工しない日配品(日持ちしない品)を主に扱うコンビニは販売ロス商品の発生しやすい代表格と言えるでしょう。

 

 

 

先日から、総理大臣の一言をきっかけに、場内への弁当の持込が可能になりました。

 

でも何故か、手作りの弁当に限るのだそうです。

 

笑っちゃいますよね。そうです!明らかに会場内のコンビニへの配慮でしょう。

 

ここまできたら、万博のテーマもへったくれもないですよ。

 

まさに、どこまで行っても「コンビニ」は癌的存在になってしまうということを、露呈する結果になりましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第8章 性行為の低年齢化

中高生の性行為・・・、かつてはごく一部の限られた少年少女の間での事柄でした。

しかし、最近では小6や中1で初体験をしてしまう子供たちもいるとか・・。

私自身もその話を聞いたときには、そんな子は特別なのだという認識でしたが、

実際には普通に街でみかけるような、外見からはどう見ても普通の中高生にしか見えないような子たちが、早々と初体験を済ませ、中には性病の感染者までいるというのですから、本当に驚きました。
 


性に関心を持つということは、早かれ遅かれ一定の年齢がくれば誰しもあることです。そして、それは時代に関係なく、私の若い頃(思春期)も確かに興味津々の事柄であったことには違いありません。

ただ、人としてのモラル、つまり、盛りのついた犬や猫とは違う、人間としての態度、姿勢というものを意識していたような気がします。

このことが、コンビニの存在とどう関係しているのかと思われるでしょうが、

生まれたときから世間にコンビニエンスストアが存在したという子供たちにとって、私は、性行為もまた、その環境が「成人男女の親愛行為」から「単なる快楽行為」に変えてしまったのだと思えてならないのです。
 「便利」と「我慢」は反比例しています。つまり世の中が便利になればなるほど、様々な事柄において我慢の必要が無くなっていきます。
 

私が最も言いたいのは食品小売店を「便利」の窓口にしてはいけないという事。

「便利」とはすばらしいことです。人類が他の動物たちに無い優れた能力を持ち備えているからこそ手に入れることが出来た文明の結果だからです。しかし、老若男女誰もが日常的に利用する街の食品小売店を「便利」の窓口にしてしまうと、何の苦労も無く簡単に「便利」を手にすることが出来る環境をすべての人々に与えることになります。
それはすなわち、教育環境の悪化、モラルの低下を意味するのです。

第7章 「便利」による錯覚


皆さんご存知のように、コンビニは流行の食品や雑貨を取り揃えています。

そのことから、情報の発信基地的な要素をもっていると認識されている部分もあるために、世間の人々がなんでもかんでもトレンド的ニュアンスで捉えてしまうのです。

これが、いわゆる「便利」の錯覚です。

ある「便利」を体験したとき、一時の感動や喜びを感じたとしても、よくよく考えてみたら、道徳的、人道的にいかがなものか、と感じることが必ずあるはずです。

もし無いと言うのなら感じるべきなのです。

現代におけるコンビニエンスストアは、そう感じるべき人々の心をも、麻痺させてしまっているのかもしれません。

例えば、「両替」。最近では金融機関も、両替に手数料が発生します。

だからと言う訳では無いでしょうが、最近は、ガム1個やジュース一本で一万円札を出すお客さんが増えたような気がします。

もちろん何も買わずに「両替して」と言うお客さんもいます。

しかし、ほとんどのお客さんの口からは「大きいのしか無くてごめんね」とか「こまかいの無いんですけどいい?」というような言葉は出てきません。

コンビニなのだから、有無を言わず、要望に答えて当たり前ということなのでしょうか?


昔の食品小売店には確かにありました。

「あらーっ!しまった!万札しか持ってない。ごめん、いい?」
「ええいいですよ」

「今日、孫が遊びに来るの。お駄賃あげたいから、悪いんだけど1000円札に替えてくれない?」
「いいですよ。それは楽しみですね。」
と言った感じの、お店の人とお客さんのコミュニケーションが・・・。

忘れかけていた、古き良き時代のひとコマですよね。
街の小売店のあり方を、見直す時期が来ているのではないでしょうか?


第6章 コミュニケーションの変化 

昔、個人商店のおばちゃんが、近所の子供たちの名前や、家族構成まで知っていて、
「あらっ!〇〇くん、ちょっと背が伸びた?」
「久しぶりだねぇ△△ちゃん、あんたの好きなお菓子入ってるよ!」
「今年は受験生だねぇ、がんばってね!おばちゃんも応援してるよ」
といった感じの言葉をかけて、子供たちとコミュニケーションをとる光景は、ごく一般的なものだった気がします。


今では、そうした店も随分と減り、子供たちもそんな言葉をかけられる店に行くよりは、コンビニに行ったほうが気楽に買い物ができるという子がほとんどでしょう。そのこと自体をとやかく言うつもりはありません。ただ、昔は個人商店も地域におけるコミュニケーションの場のひとつだったという事なのです。

言葉を交わして伝わることは、その言葉の内容だけではなく、その言葉を発した人の人格や思い、機械には無いあたたかさ、だと思うのです。


私が子供の頃には確かに存在した、いろいろ話しかけてくる近所のおばちゃん、またそういう人がいるお店、今では本当に見かけなくなってしまいました。コンビニの影響力は、そうした見えないところにまで波及しているのです。

それに付け加え、最近ではインターネットの普及により、メールやWEB上の掲示板といった、これまた相手の表情や姿が見えないところでのやりとりが、自分以外の人間との最も日常的な接触機会のひとつになっているのです。つまり、コミュニケーション自体が変化してしまったのです。まさに火に油を注ぐとはこの事でしょう。なぜなら、子供たちはそんな社会で日々成長しているのですから。悪質な少年犯罪が急増し、その中でも私たち大人が理解に苦しむような罪を犯してしまうような小学生までが出てきてしまったことは、本当に深刻な問題だと思います。

第5章 度を越した「消費者本位」

今やコンビニは、ただモノを買うだけの場所ではなくなりました。

公共料金の支払いや、各種チケットの購入、ATMなど、消費者にとっては便利この上ないというか、これ以上身近な便利は無いと言って良いほどに様変わりしました。
コンビニ本部はこうしたサービスを通じて、来店客数を増やし売上を伸ばそうという考えなのでしょうが、実際にはサービスを利用する客数は増えても、売上のたいした変化もなく、各個店のデータをみれば、売上の下がっている店舗だってあるのです。

コンビニがなかった時代でも、商店街の個人商店や、街の小売店でも、売上不振でつぶれる所はつぶれ、閉店せざるを得ない状況に追い込まれる店はありました。立地条件や接客、販売方法その他様々な理由によるものと思われますが、その際、消費者に対して過剰なサービスをしても焼け石に水で、なんら抜本的な経営改善にならないことを個人経営者は知っていました。しかしコンビニ本部は、増えすぎて飽和状態になった店舗数、不景気による消費の低迷、これらの売上低下の要因を、サービス合戦によって回避しようとしているのです。


そんなサービス業務に限って、管理に手間もかかり精神面での負担も大きく、経営者泣かせのものが多いのです。

もちろん仕事ですから、客数が増え売上が上がり、利益が上がればそんな負担は我慢するべきなのですが、たいして売上自体に影響が無いとくれば加盟店は黙ってはいないでしょう。


新規開発物件があっても、加盟者が見つからず開店できないといったケースが増えているのもそうした事からでしょう。

現加盟者の中には、新たに店を経営したいと思うどころか、業種替えを考える経営者が意外と多いというのも、本部の度を越した「消費者本位」の運営の影響によるものなのです。

そしてこの経営改善のための、度を越した「消費者本位」のサービスが、とんでもない社会を作ってしまう引き金になっているとしたら・・・。

第4章 青少年の健全育成?


 青少年の健全育成条例とやらで、コンビニの雑誌コーナーには「成人向けコーナー」という仕切り板で分けられたコーナーがあります。


昔は、食品小売店でその種の雑誌を扱うお店は限られていたし、仮にあったとしても中高生が閲覧するには相当な勇気が必要でした。つまり条例など無くとも、自然とそういった環境が整っていたのです。


お酒やタバコの販売においても、「未成年者には販売しません」といったステッカーや張り紙が店内随所にみられます。逆にいえば、これまでの間、それほどまでに老若男女すべての人が何でも買いやすいお店の形態を構築してきたと言うことなのです。

今になってそれに気づき、焼け石に水のようなやり方で、対応したところで何ら改善はされないでしょう。それでもって、販売したお店の経営者が罰せられるのですから、私たちは悲惨としか言いようがありません。


何でも買える場所を提供しておいて、あれはダメ、これはダメというのも大人の勝手な理論で、子供たちもある意味悲惨と言えるでしょう。
コンビニの店内は、それほど「理」にかなわない事柄や現象であふれ返っているのです。

本当の意味で青少年の健全育成を考えるのなら、コンビニの販売スタイルの抜本的な改善が必要でしょう。長時間営業によるアルバイト主体の運営、これが青少年にふさわしくない商品の購入をしやすくしています。万引きの増加も同じ要因と言って良いでしょう。防犯カメラの設置されていない個人商店よりも、最新の防犯設備の整っているコンビニエンスストアのほうが、彼らにとって万引きしやすい場所になってしまっているというのも実に皮肉な話です。

便利になりすぎてしまったコンビニが、もう一度、本来の小売業に戻ることが、実は青少年健全育成の最良の方策なのです。