第23章.晩婚、少子化
国会中継や、政治家が出演している討論番組を見ていると、昨今の晩婚少子化問題は、現在の日本の情勢から、将来に不安を抱える人が増えていることが背景にあるとする意見をよく聞きます。
私から言わせれば、まったく世の中が見えていない、雲の上から下界を見ているようなもの。
少子化、晩婚化を促進させた一番の要因は、コンビニエンスストアの台頭です。
ニート問題も含め、現在、問題に挙げられている大抵の事柄に、コンビニの存在は関与しているのです。
身近な不便の合理化、利便追求により、消費者を誘引してきた結果、
①行動力の退化(面倒くさい事はしない)
②ルール、マナーの低下
③「常識」の不明瞭化
④「トレンド」の美徳化
⑤人間関係の簡素化
という現象を生んだのです。
コンビニを日常利用することで無意識のうちに失っていくもの、そこに着眼して欲しいのです。
第22章.平気で非常識
実際にあった出来事です。
その①.国勢調査の調査員の人がコンビニ駐車場に車を置き、付近住宅へ調査票の配布と回収業務をしていました。
「あの~、申し訳ありませんが、こちらに駐車されても困るんですが。。。」
「えっ!?30分くらいいいでしょ。あとでジュースでも買わせてもらうから」
※そうゆう問題ではないと思います。ならば事前に店内に入り、少量の買い物でもしてから一言、低姿勢に駐車の許可をお願いしてみる、というのが常識。それでも、時間帯(混雑状況)によっては、そういう類の駐車はお断りなのですから。
その②.お年寄りのデイケアサービスの会社の介護用車両が頻繁に駐車されています。店内にお客さんはいない、明らかに無断駐車。
「あの~申し訳ありません。こちらに停めてお仕事されるのはちょっと。。。」
「はっ??ご近所のお年寄りですよ。ましてやこちらのお客さんでしょう?そんなこと言っていいんですか?あなたたちもご商売なされてるんだから、それくらい我慢しないと。」
※正当化するのも、ある意味プロ根性を感じますが、いったいこんな常識どこから生まれたんでしょうかね。コンビニだからでしょうか?私は一般小売店の経営も経験しておりますので、その違いをハッキリ感じました。一般店ならまずお店に入ってきて、おそらく、いえきっと買い物をし、その後事情を説明し、お店側と交渉。で是か非かの結論を出す、といった順序に違いありません。
①も②も、だいのオトナの方たちです。「今どきの若いもんは。。」なんて日常的に言っているであろう年代です。良識あるはずの年代の方たちなのです。恥ずかしい限りです。
コンビニエンスストアは、そうした常識という感覚さえも麻痺させてしまう魔力があるんでしょうかね。
第21章.コンビニで売るなんて・・・
前章でもちらっと書きました「ホワイトバンド」。どうやら某コンビニではレジ横で販売しているらしい。
あのホワイトバンド、よく見ると「***」という模様と言うべきか、柄が入っている。
これは、世界では貧困により3秒に一人というスピードで子供たちが亡くなっているということを表しているのだそうだ。
しかし、日本における食品小売業の代表格であるコンビニは、売り上げ増進目的のため、日々相当数の食品を廃棄している。その納入業者である関連製造元では、店舗側からの受注後の製造では間に合わないという理由から、事前に製造し、余った製品(弁当etc)は出来立てホヤホヤでも廃棄しているのです。
そんなコンビニのレジ横にホワイトバンドが陳列され、流行に敏感な若者たちや、有名人のコマーシャルに影響された人たちが購入していく。
なんですか?この図式は・・・。
間違ってはいませんか?
ホワイトバンドの価格のうち、一体いくらが、貧困の国々の子供たちを助けるのか知りませんが、自分たちは日々大量の食物を捨てまくっているのに、ホワイトバンドを売ったり買ったりして人助けをしたような気になっている愚かな国民。
その食品消費のサイクルを狂わせている「癌」的存在、それがコンビニなのです。
第20章.流行カブレ
コンビニに行けば、現在巷で流行っているもの、すなわち「売れ筋」と言われるものを目にし、手に取り、買うことが出来る。もちろん何でもかんでもという訳ではないが。
一部の人間が「流行」を発信し、大半の一般大衆がまぎれもなく受動的にそれを受け入れ、「はやりもの」に飢えているかのように、「流行」に群がる。そこにはもはや取捨選択は無いように思える。
「著名人、有名人、大衆ウケする人(人気者)、を刺客として各選挙区に対抗馬をあてた自民党が圧勝した今回の選挙」
「販売価格のうちの何パーセントが役立たされるのか知らないが、これもまた著名人、有名人、大衆ウケする人(人気者)、スポーツ選手を使って宣伝する、貧困により死亡している子供たちを救うための募金活動になるホワイトバンド」
何か、すっきりとした気持ちで受け入れられないのは、私がおかしいからだろうか?
内容や中身、その真意、実態、それらをしっかりと見極めないまま、ただ流行りに則って行動してしまうのはいかがなものかと思う。
それとも、人々はそういう部分の思考回路が退化してしまったのだろうか?
だとすれば、それもコンビニ文化のなせる業なのかもしれない。
第19章.無法地帯へ
大手某チェーンが、今月、販売価格の大幅値下げ(価格破壊、定価概念の払拭)を断行した。
便利さと引き換えに値下げ販売はひかえてきた体系をついに終わらせるのである。
年中無休、深夜までの営業が飽和状態になれば、24時間営業に、それも当たり前になれば、各種サービス業務を展開し、それすら生き残り策の役割が薄れてくれば、今度は「値下げ、安売り」。
100歩譲って、これも企業存続のため、競争社会においては仕方の無いことなのかもしれません。
そして、消費者にとっては、この上ないサービス施設に変貌を遂げていくコンビニは、とても魅力的かつ愛着の湧くものなのかもしれません。
がしかし、こういった方向性は必ず、社会のあらゆる場所に弊害をもたらすことになるでしょう。
つまり今回のことがもたらす、小売業界への波紋は計り知れないということです。
安売りスーパーが「安売り」をするのと、コンビニエンスストアが「安売り」をするのとでは、大きな違いがあるということに、いい加減気づいて欲しいものです。
コンビニの無法地帯化への流れを促進している、最大手チェーン本部の企画開発、経営陣の輩に声を大にして言いたい。
「能が無いにもほどがある、社会を破滅させる気か!」と。
第18章.ECO活動?
コンビニ常連の方たちなら、もうお気づきのことと思いますが、お盆明けの16日前後から各チェーンが中華まんの加温販売を始めています。
何もせずに立っているだけでも体中から汗がにじみ出るような日に、ホカホカ肉まん、あんまん・・・。
まぁ、好きな人には美味しい?のでしょうけれど・・・。
店内は、ほぼ24時間冷房は稼動し、そんな中、加温器で肉まんを温め続けている。当然レジカウンター付近の温度は上昇する。こんな無謀かつ意味不明な販売スタイルはコンビニならではの光景です。
そして、そのレジカウンターには、お客様に見えるように「当店はエコ活動を推進しています」とか
「地球に優しいお店づくりに取り組んでいます」とかいうポスターまでもが貼ってあります。
矛盾を感じるどうこうというより、もはや笑いを誘うような光景ですよね。まったく・・・。
第17章. まだまだ捨てたもんじゃない
夏休みに入り、小さな子供連れのお母さんの姿を、お店で見かけることが多くなりました。
そんな中、先日、私の目に強く印象に残ったひとコマを紹介します。
幼稚園児らしい女の子と小学校1年か2年くらいの男の子。
そんな二人を連れたヤングミセスといった感じのお母さん。
子供たちが、お菓子売り場や、アイスクリーム、ジュースetcのコーナーを見て回り、お母さんはパンを選んでおられました。
ふと気がつくと、突然、お母さんの声
「コラーッ!あんたたち、冷蔵庫の扉を開けて選ばないの!!どれにするか決めてから開けなさいよ!!」
私は、その突然の声に驚くと同時に、久しぶりに感動を覚えました。
最近では、自分は好きなだけ雑誌コーナーで立ち読みをし、その間、子供はホッタラカシの親が多い中、若いながらも、ちゃんとお母さんをしていらっしゃる、そんな方に出会えて、なんだか一服の清涼剤でもいただいたかのような感触でした。
コンビニエンスという販売スタイルの「ハード」にある、様々なサービスという「ソフト」。
そんな「ソフトウエア」に侵されていない、ピュアなお母さん(消費者)もまだまだいるんだということ・・・。
「まだまだ、捨てたもんじゃない」かも!?しれませんね。
第16章. 省略する文化
「言葉」を省略して、文字数を少なく短くした聞いたことも無いような日本語。
初めは、若者の間だけの特別な言葉という認識でしたが、気づいてみれば、自分も含め多くの大人たち、結構な年配の方までもが使うようになってきています。
「お月見」や「菖蒲湯」「七夕」etc・・・かつては各家庭で行われていた日本の四季折々の行事。
結婚前の「結納」、それに結婚式自体。
こうして挙げていくと、省略されてしまっている、あるいは将来的にそうなっていくであろう行事はいくらでも挙げられます。
小売流通の主役をコンビニエンスストアが担っている今、人々は知らず知らずのうちに、面倒なことは省略するのがトレンド、あるいは現代的、効率的と思い込んでしまっている。
コンビニを日常的に利用することにより、錯覚を引き起こしてしまっているのです。
だってそうでしょう?コンビニ業界は消費者が面倒と感じることをすべてカバーすることで生き残りを図り、
各チェーンはそれを競い合っているのですから。
面倒なことを「省略」「排除」することが、昨今の「晩婚化」「少子化」「犯罪の低年齢化」すべてに起因しているということ、コンビニが文化の崩壊の一端を担っているということに気づいてほしいのです。
第15章. 何を意味するのか
日本フランチャイズチェーン協会が毎月発表している、コンビニ業界の売り上げ・・・、ここのところ何ヶ月も、いや何年もと言っても過言ではないかもしれないが、
下がり続けているということをご存知であろうか?
にもかかわらず、店舗数は増えているというのです。もちろん閉店していくお店もありますが、それ以上に、若干ではありますが未だに開店するお店のほうが多いのです。
これは、何を意味するのか?
かつて加盟店の多くを占めた、個人小売店からの業務転換といった形は、現在はほとんどありません。
300万円程で開業できる「経営委託」と呼ばれるタイプのお店が主流になってきたのです。
この背景には、独立を夢見る方たちを、言葉巧みに誘い込むことにより、新たな蛇口を増やすといった方程式があるのです。
ひとたび加盟契約を交わしてしまえば、5年間(チェーンにより様々ですが)はやめられません。
やめれば違約金を支払わなければならないからです。
商売の経験も無い方たちが、退職金を利用して加盟し、独立の夢はかなったものの、
冒頭にも書いたように、売り上げは全体を見ても、決して良いとはいえない状態(時代)において、
「獲らぬ狸の皮算用」じゃないけれど、試算どおりにいくわけも無く・・・・。
悲惨な人生になってしまった方たちは沢山います。訴訟にまで発展しているくらいです。
まったく・・・・どの方向からメスを入れても、良い事はひとつも見当たらないですね。
そう、それが「コンビニ」なのですから・・・。
第14章.能力の退化促進
親戚の子が、この春から東京で一人暮らしを始めました。もう2ヶ月が過ぎました。女の子です。
ご両親は、一人暮らしに必要と思われる道具を買い与えたそうですが、その中でも実際には必要の無かったものがいろいろあるというのです。
炊飯器を代表とする、台所用品です。
コンビニまで500メートル弱の所に住んでいるので、食事関係はすべてそこでまかなえるからなのだそうです。
私がビックリしたのは、食器も使った事が無いということ・・・。考えてみれば、確かにコンビニの弁当と飲み物で食事を済ませているのなら、必要ないかもしれませんが・・・。
箸も、コップも、まな板も、包丁も、必要なし。。。。
この子はコンビニが無くなったら一体どうなってしまうのだろう。
女の子なんだけど、将来は結婚して家庭を持つであろうに、大丈夫なのだろうか。
栄養のバランス等を考えたら、健康は維持できるのだろうか。
つまり、コンビニの存在が、人が人として生活を営んでいく、生きていく為の様々な能力を知らず知らずのうちに退化させてしまっているのです。
コンビニが無ければ、この子はおそらく、最低でも週の半分は自炊をしていたことでしょう。
「自炊」、ただそれだけの事が、この子にとって、いろいろな面で、いかに重要であるかということを、世の人々にもう一度考えてみて欲しいのです。