第7章 「便利」による錯覚
皆さんご存知のように、コンビニは流行の食品や雑貨を取り揃えています。
そのことから、情報の発信基地的な要素をもっていると認識されている部分もあるために、世間の人々がなんでもかんでもトレンド的ニュアンスで捉えてしまうのです。
これが、いわゆる「便利」の錯覚です。
ある「便利」を体験したとき、一時の感動や喜びを感じたとしても、よくよく考えてみたら、道徳的、人道的にいかがなものか、と感じることが必ずあるはずです。
もし無いと言うのなら感じるべきなのです。
現代におけるコンビニエンスストアは、そう感じるべき人々の心をも、麻痺させてしまっているのかもしれません。
例えば、「両替」。最近では金融機関も、両替に手数料が発生します。
だからと言う訳では無いでしょうが、最近は、ガム1個やジュース一本で一万円札を出すお客さんが増えたような気がします。
もちろん何も買わずに「両替して」と言うお客さんもいます。
しかし、ほとんどのお客さんの口からは「大きいのしか無くてごめんね」とか「こまかいの無いんですけどいい?」というような言葉は出てきません。
コンビニなのだから、有無を言わず、要望に答えて当たり前ということなのでしょうか?
昔の食品小売店には確かにありました。
「あらーっ!しまった!万札しか持ってない。ごめん、いい?」
「ええいいですよ」
「今日、孫が遊びに来るの。お駄賃あげたいから、悪いんだけど1000円札に替えてくれない?」
「いいですよ。それは楽しみですね。」
と言った感じの、お店の人とお客さんのコミュニケーションが・・・。
忘れかけていた、古き良き時代のひとコマですよね。
街の小売店のあり方を、見直す時期が来ているのではないでしょうか?