第41章.母の愛
私が子供の頃、遠足や運動会にはお母さんが握ってくれたおにぎりやお弁当を持って行くのは特別なことではなく、誰もがやっていることでした。
「今日は暑いから、具は梅干だけだよ」
「え~~っ、タラコがよかったのにぃ~~」
「しょうがない子だねぇ、わがまま言うなら具は無しだ!」
なんて言う会話をしながら朝のしたくをしていた事を覚えています。
子供にとって、お母さんが握ってくれたおにぎりは、それこそ具は「愛情」といっていいものです。ところが最近は、おにぎりを握れない、あるいは握ったことが無い、という若い女性や主婦がいるそうなのです。理由は、
「コンビニのおにぎりで事足りるから」
「むしろコンビニで買ったほうが、いろんな具もあるし、ご飯もおいしい」
「衛生的だし、ちょっとのご飯を炊くよりはお金も時間もかえって節約になる」
等々、聞いているうちに、納得できるような、できないような、私自身も解らなくなってしまうような不思議な感覚にとらわれてしまいます。
私が子供の頃、コンビニこそ無かった時代ですが、おにぎりや、いなり寿司のパック、幕の内弁当はお店に売っていました。
しかし、それを遠足や学校のお弁当として子供に持たせることは「恥ずべき行為」という認識を、誰もが持っていた気がします。
ところが今は「便利」がすべてにおいて優位な立場にあり、「便利」で何が悪いの?というような風潮にまでなっているのです。
「便利」とは人々の心まで狂わせるのでしょうか。
女性の社会進出の機会が増え、仕事を持つ女性が多い現代社会において、
もしかしたらコンビニは、子供たちにとっての母親的役割も担ってしまっているような気がするのです。
極端な言い方かもしれませんが、子供が自分で買い物が出来るくらいの年齢になれば、食事代さえ持たせておけば、母親も自分の時間を増やすことが出来る、つまり仕事を増やすことが出来る。こんな悲しい方程式をコンビニは作ってしまったのです。