第36章.コンビニ環境で育つ子供たち | 社会悪の発生源 「コンビニ」

第36章.コンビニ環境で育つ子供たち

最近、青少年による想像もできないような恐ろしい凶悪犯罪を頻繁に耳にします。ごく普通の子供が、ある日突然キレる。犯罪者になる。

これは、学校や家庭での道徳教育が、もはや社会とマッチしないものになってしまっている結果のひとつではないでしょうか。

家から持ってきたと思われる古い週刊誌の束を、いくつも自転車に積んできて、店の前のゴミ箱に入れようとして、入れ口が小さくて入らないものだから、ゴミ箱の上に置いて帰ろうとした少年に言いました。
「困るよ、雑誌は君の家で処分してもらわないとね。」
「えっ?そうなんですか?じゃあなんでゴミ箱あるんですか?」
「リサイクルステーションとか廃品回収とか、知らないの?」
「それなら、ここの店で出しておいてよ!ここで買い物してんだからさぁ」
私は言葉を失いました。開いた口がふさがらない、まさにそういう状況でした。この会話に見られるように、少年の心に「道徳」は微塵も感じられません。こんなふうに、捨てていく瞬間に声をかけることができるのは極めて稀なケースで、たいていの場合はゴミを片付けるときに、その内容を見て呆気にとられるのです。

おむつ、蛍光灯、自動車のバッテリー、古着、ビデオテープ、水槽、観葉植物、まだまだ紹介したくなるモノ(ゴミ)はたくさんあります。これらを目の当たりにしたとき、私は、捨てていった人たちを責める気持ちにはなりませんでした。


こういうことが平然とできる基盤を作ってしまったのは、まさにコンビニではないのか。生き残るために様々なサービス(便利)を展開してきた結果、しだいにサービス(便利)が当たり前になり、また次のサービス(便利)を提供する。結果、人々の心には「コンビニはなんでもあり、なんでもOK」というような概念が定着してしまったような気がするのです。