第34章.「いじめ」と社会とコンビニ
ここのところ、新聞やテレビでは学校におけるイジメが、やたらとクローズアップされていますね。それにより、自殺を誘発させてしまっている感じさえします。
学校や教師、教育委員会・・・と、責任追求の矛先は関連するあらゆる方向へむけられていますが、問題はそんなに浅いところには無いのかもしれません。
問題は、社会全体にあるのです。便利ばかりを追求し、道徳、モラルをおろそかにしてきた社会に・・・・。
便利になり過ぎてしまった現代社会の人々の多くは、何事においても自ら「改善」「改革」「解決」する能力が退化しつつあります。
他者へ依存し、責任は果たさずに他へ転嫁できる都合の良い社会の中で、便利な文化に保護されて生活することに慣れてしまった人々が増加したことが、「いじめ」がクローズアップされるほどの大きな社会問題にまで発展する、一要因と考えます。
「いじめ」そのものは、昔からというか、いつの時代も、また学校に限らず、どんな場所でも起こりうることです。しかし、このような社会においては、イジメる側はより激しく、より陰湿に・・・、イジメられる側は耐えられずに、簡単に「死」を選んでしまう・・・、という傾向にあるのです。
私たちは、これから、「思いやり」や「優しさ」を育む社会、そんな世の中を作らねばなりません。
世の中が便利になればなるほど、子供たちが道徳を学ぶ場所、機会が失われていきます。
次から次へと度を越した便利を提供するコンビニ・・・。私たちはもう一度「便利」ということについて考え直す必要があります。
人々の暮らしを豊かにする為の「便利」と、怠慢を助長するだけの「便利」は明らかに別物なのですから。